冷蔵庫でキンキンに冷えていた缶ビールを乱暴に開けて乱暴に飲み込んだ。
正直お酒はそんなに好きじゃない。喉が焼けるような感覚がどうにもダメだった。
ゲンもそれを知ってるので「やめとけば?」と苦笑している。
開けちゃったからかわりに飲んでよと言おうとして、ゲンはまだ未成年なのを思い出した。
年の差なんて2つ3つしかないけれど、彼は私よりしっかりしてるのですっかり忘れていた。
「で、今回はどんな別れ方しちゃったの?」
「いきなり聞く?オレ結婚するけど今までどおりよろしくやろうって言われた」
「えっ、あ、そうなの……」
引いてる引いてる。私も引いた。
意味分からん。そう言って彼氏、じゃなかった。元交際相手との繋がりを全て切った。
ソファに並んで座った私たちの間に暫し沈黙が流れて、それがなんとなく気まずかったので、もう一口ビールを煽った。
ダンボール箱が放置されてるこの部屋には昨日から住んでいる。
短いスパンで恋人と別れる度に住まいを移して、新居にゲンを呼び出しては飲みまくり喋り倒して夜を明かす。これはもはや私の伝統芸に近い。
こんなダメ人間に付き合うゲンは相当物好きだと思っていたけど、これも彼の芸の肥やしになるのだと最近分かってきた。
「結婚て、私とじゃないんかーい」
「えー結婚はまだ早くない?それとも結婚したかったの?元カレと」
「いやそれはどうかな」
結婚とか、考えたこともなかった。
ゲンもなさそうだ。彼は恐らく、一人でも生きていける。私もそうだ。
「だよね〜俺も結婚とか考えたことないや。でもジーマーでずーっと付き合いたいと思ってる子はいるんだよね」
「そうなの?意外」
ゲンはそういうのに全く困ってなさそうなのに。
芸能界の人脈もあるし、より取りみどりじゃないの。
「どんな子?聞いても良い?ゲンのそーいう話」
「いいよ」
しみったれた私の失恋話より余程面白い。
今をときめくメンタリストあさぎりゲンの恋愛事情、聞いてやろうじゃないの。
「顔は?かわいい?それとも綺麗系か」
「ありきたりだけど笑うとかわいいよ、やっぱり。でも俺と会う時は浮かない顔してることが多いかも」
「え〜それ大丈夫なの〜?」
ゲンも恋愛で悩むんだ。
なんだか不思議だった。あまり現実味がない。
フワフワし始めたのは私の頭じゃなく雰囲気の方。
だってまだ酔う程は飲んでない。
「うん。またあやふやにされたら嫌だから早めに種明かしするけど、それ今俺の隣に座ってやけ酒してる人のことなんだよね」
盛大に噎せた。やっぱりお酒は苦手だ。
ティッシュを差し出すかわりに私の手の中の缶を奪っていったゲンの顔をまともに見れない。
一気に現実に引き戻されたような気分である。
「えっと、この話、初めてではない……?」
「名前ちゃん毎回記憶無くすんだもの」
そんなに酷いのか、酒が入った私は。もう絶対にゲンの前では飲まない。
「あーあ、もっと早く生まれたかったな」
「なんで、」
「なんでって、言い訳の材料が増えるでしょ」
ゲンが私から奪ったビールの缶を揺らす。
大人げないからと言う自分本意な理由で彼と目を合わせた。
「ごめん。でも、俺もう飽きちゃったんだよね、名前ちゃんの傷舐める係」
面と向かって言われて漸く気づいた。気づいたというか、改めて理解した。
私って最低だ。
「まあ慰めのレパートリーだけは増えたけど」
ソファが軋む。人の温度が分かる距離だ。
ゲンがいつも笑って話を聞いてくれるのが好きだった。安心した。
でも、彼にこんな顔をさせているのは私だ。
「ごめん。その、うまく言えないけど、私……ゲンにそんな顔はさせたくなかった。ゲンにはいつも笑ってて欲しいって思ってたのに。バカだね、私」
分からなくなってしまった。私、どうしたらいいのかな。
「それなら一つだけ。一つだけ、方法があるよ」
私にしかできない方法だとゲンは言う。
彼は、私が乞うのを待っている。
誘導されているのには気づいてるけど、有無を言わせぬ強さのようなものが今の彼にはあった。
「教えて」
相手に自分が望んだ言葉を言わせられたこと、彼はどう思っているだろう。
呆気ない、チョロい、それともつまんない?
だけど、頬に添えられた手を、今さら振り払うなんてできっこない。
お互いに守ってきた暗黙のルールが、とうとう破られてしまう。
「いいよ、教えてあげる。名前ちゃんにだけ特別にね」
言葉を交わすことも考えることも放棄した頭の中で、ソファの隅に放置された飲みかけの缶ビールを退かすタイミングを考えていた。
2020.6.8
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